ジル&ボワシエ特集、インテリアコラムとSUSHI SEI

世界が夢中! 「ジル&ボワシエ」が手がける至高の建築デザイン
2016/07/03 パップ英子


こちら住まいの大学さんで連載中のインテリアコラム、最新の執筆記事です。

バカラホテルをデザインした、フランス人デザイナーカップルの、その他の代表的な

建築&インテリア作品について説明しています。上のリンクテキストか、下のお2人の画像クリックすると、記事ページに遷移します。どうぞご覧ください。


(写真左)ドロテ・ボワシエ (右)パトリック・ジル / 出所:Gilles & Boissier. Photo (C) Patrick Swirc via designboom.(http://www.yellowtrace.com.au/gilles-boissier/)

モロッコのマンダリンオリエンタル、うーん、一度でいいから泊まりに行きたい。

執筆しながら、その美しさにただただため息、連発しておりました。

ため息すると幸せ逃げる?ええ。そうかな?迷信だと思う。うん。


バングラデッシュの首都ダッカで7名の日本人の方々が殺害されたニュース、ネットで知りました。

彼らはJAICAの関係の人達で現地在住者ではないらしいのも知りました。

なんて不運な、、仕事で出張で、たまたま来ていたのに

レストランで休憩中に、殺害されるなんて。

それも、銃ではなく刃物で首を切断されたそう…

本人の苦しみ、想像できない痛さ…

いきなり遺族となってしまった、ご家族の悲しみ…

政府専用機に搭乗する際に皆さん、無言


その記事も読みました。

やりきれない…。

ご冥福をお祈りします。

そして、イスラム教のコーラン、人殺しを正当化するのが彼らの教えですか。

違います。

本当のイスラム教徒がますます誤解され、ある意味、同情します。

真のイスラム教徒たちが、一番銃撃や爆撃で亡くなっているから。

日本人はISによると、十字軍側になるそうなので、もはや攻撃対象外ではなく

はっきりと攻撃対象。

ハンガリーにはイスラム教徒らしき移民が昨年7月以降、圧倒的に増えているから、

人を疑うなんてしたくはないけれど、そっちの肌色の人をみかけると、

顔は平静を装いながら、視線を合わさぬよう、実は周囲を警戒して見渡します。すぐに。

クセになってしまっています。もうこの1年くらい。

何事もいまだになくてホッとしていますけど、

日本人、外国人が多く住む地域に暮らす者としては、

常に警戒はしています。

特に日本大使館や日本人学校がある区域に行くときは、特に。

あと、日本食レストランに行く時にも、油断などしていません。


でも、それでも最悪、そんな被害に遭遇してしまったら、

もう①ひたすら神仏を祈る状態か、②なんとしてでも生きのびるため、

映画みたいに頑張るか、ただただ泣き叫んで怯えて殺害されるか、、

直面しないと分からないけれど、

私は①か②を試みると思います。

一番いいのは引き寄せの法則ともいうので、そんな危険な状態を

考えないのが一番幸せなのかもしれませんね。


長くなりましたが、最近、SUSHI SEIさんに息子と久々に

ご飯食べに行きました。


Photo by ©Papp Hideko

トカイワインのグラスワインをオーダー。

このお味噌汁が、あー美味しい。


Photo by ©Papp Hideko

天ぷら弁当をオーダー。

ただ、前はいくらも結構あったのに、今はいくらがのっているメニューが見当たらない。

経費削減かな、、高いからな、いくら…。(涙)


そしたら、友人も食べにきていて、

私はその友人からSUSHI SEIのシェフを紹介されて

ハンガリーに渡ってきてわりとすぐにお知り合いになり、

SUSHI SEIもウルメイニシュにまだ、住んでいたときに初めて来店し、

そのとき、特別につけてくださった茶碗蒸しに凄く涙でそうだったのを思い出す。

そうです、ハンガリーでは日本の普通の豆腐がなかなか手に入りません。

パサついた豆腐ならあるけど、あのみずみずしい、プルンとした

豆腐は見たことがない。

よって自家製するしか、入手する道はないため、

茶碗蒸しといくら好きな私には涙がでるほど、嬉しく美味しかった。

その日は寿司職人、シェフの楠本さんに会いに来ていた友人と

結局3時間くらいしゃべって、

私がその日、さんざん豆腐やカレーが恋しい話をしたもんだから、

なんと今日、差し入れといって、カレーを作ってランチに持ってきてくれました。

ありがたや…。私が寝ないで執筆する毎日なのを知ってるのもあるんだろうけど、

もうね、ハンガリーでは食べられない美味しいカレーで

お店開いたら?なんて言ってしまったけれど、

美味しくて息子が早速がっついてすぐになくなりました。

SUSHI SEIさんの話にちょっと戻りますが、名前の由来は

シェフの楠本さんが誠一というお名前なので SEI は楠本さんの誠から

元々とったんですよね。

私が最初に来店したときは日本人のかたがオーナーで、

インテリアなどは今より洗練されてはいなかったんですが、

ただランチ弁当などの食材が、先ほどもあげたように

いくらがついていたり、それでいてお値段がすごくリーゾナブルだったので、

今のSUSHI SEIさん、雰囲気もインテリアも素敵だし、

サービスも日本語はなせる学生のウェイトレスさんとかいて

とても素晴らしいんですが、

金額はかなり上がった。そして、食材も以前のほうがいいものを揃えていた。

そこはちょっと悲しい、でも仕方ない、

ハンガリーフォリント、ますます通貨価値低くなっているから、

それを考えたら原料費抑えるのは当然、、、

レストランとか飲食店経営って難しいですね、本当に。。

お知り合いということもあって、SUSHI SEIさんで

いただく和食がブダペストでは一番好きではあります。

フィノマガジンでも広告出稿していただいてますが、

そんな利害関係抜きにして、美味しいと思います。

楠本さんの寿司職人としてのキャリアもOur Partners ページで

記載しているので、良かったらご覧ください。

異国でみつけた本物の寿司、にっぽんの味【SUSHI SEI】

本物の職人さん、懐石料理もお得意です。

こういう本物の日本料理の職人さんが、

もっと、ブダペストに増えて欲しいものです。

と、わがままなことに常に思う。

最初に誤って入ってしまった和食と思われたお店。

だって名前が、日本の一番有名な昔話からとった店名だから、

そこで食べたラーメン、もう、使用している水がありえない!まずさ!

よく見れば、一人も日本人スタッフいないし、どうやら日本人がオーナーではないらしい。

もうね、はっきり書きますよ、ここではもうひとつ、

寿司チェーン、WASABIっていうのもありますけど、

うーん、あれは寿司じゃない。

もうね、それも悲惨だったので、(金額はたかい)

3年前、日本人オーナー時代だったときのすし誠に来店したときの感動といったらアータ。

そんなに寿司やラーメンが恋しいなら、日本戻れ、と言われそう。

そうなんですよ、食べ物の好みでいったら、本当は一日も早く

日本に戻るべきなんですけど、息子達の学校問題、教育問題、

その部分だけで意地でもここに今、暮らしている感じ、かもしれません。

私自身が出した結論、うちの上の子は日本人ですが、

性格的に日本にいると窮屈で生きづらいタイプ、

実際に小1、小2と小学校にあがったら

友達、全然できなくなって、いじめにもあっていたので、

年上の学年の子にエアーガンで背中撃たれましたからね。

それはもうハンガリー移住する3日前の出来事

警察にでも相談すべきだった

でもそんなことしている時間すらなく、犯人は

クラスメートの子達が教えてくれた、

学童が一緒で、よく遊んでいた、

うちにも遊びにきたことがある1コ学年が上の子、

あのショックは本当に大きかった。

東京の郊外市に住んでいたけど、そこは日教組と言われる

タイプの教員が多い地域だったらしく、

結構、厄介な教育者が多い地域で有名だったのは後の祭りで。。

元々、離婚後に杉並に住んでいましたが、

つくづく杉並区にいればよかったなあと、それも後のまつり。。

杉並区のときは、私の周りの話だけかもしれないけれど、

子ども達や人も 変な人、いなかったなあ、というか親切で

気が合う感じ。

保育園のことだけで郊外市に移り住みましたが、

保育園は素晴らしかったけれど、そのあとの

公立小学校周りの環境が、はっきり言えばわるかった。

運動会などでも、場所の陣取りとか、どこのおばちゃんか

みたいな保護者たくさんで、、

また、保育園は少数派で

専業主婦が多い地域だったのもあり、

もうね、うわー、絶対関わりたくないなー

っていう見た目、雰囲気だけで判断しちゃいけないけど、

本当にうわさ話を食糧にしていきているような

おばさん、いや、失礼、ママさんが結構いるような地域でした。

まあ、どこでもそんな人はいるんだが、でも

公務員の奥さんっていうのが多かったらしく

学校行事、保護者会など、小うるさい感じのママさんが

必ずクラスに何人かいるみたいな環境。

長々書きました。

この話、続きは次回。仕事せな。

こんな地域事情かけるのは、私がその地域を去ったからです。

当事者だったら恐ろしくて書けません!!

子どもを小学校に通わせることがなければ、とても自然豊かで買い物も

便利で私的には最高の場所でしたが。

子どもがね、公立限定の話だけど、

グレたり、いじめに遭いやすい地域だったので

(事実、いじめや犯罪でニュースでも取り上げられたことがある)

いま、ハンガリー語も堪能になって、英語もわりとはなせるようになってきたので、

そういったトリリンガル教育がコストかけずにできることも、

ハンガリーのブダペストに意地でも残っている理由だったりします。

だから、上の子がブダペストの小学校を卒業するまではまだ、

なんとか頑張りたいなと思う日々。

ですが、和食のことを思い出すと(家族のことはわりと遭えない淋しさに慣れてしまった)

いますぐにでも帰りたい日本。。


Papp Hideko

©Papp Hideko Creative Gallery Wine & Interior Columnist in Hungary

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